ほっとハウスが生まれるまで⑧
2026年08月31日
前回の話は社長が杵築に支店を開くか否か思い悩んでいる所で終わりましたが、皆様が御想像の通り、杵築に拠点を設ける事に関しましては、幹部会議を経て正式決定となりました。但し支店としてではなく「営業所」という形での開設になりました。支店となれば登記手続き等も含めて、時間と経費も余分に掛かりますし、先行きもまだ不透明な状況でしたので、まずは営業所という形でスタートする事にしました。
それでも営業所開設となると宅建業の登録が必須であり、杵築営業所にも専任の宅地建物取引士を1名置かなければなりませんでした。幸い本社には別の専任取引士がいましたので、私が杵築営業所の専任取引士となって、肩書も「杵築営業所長」となりました。事務所の開設場所に関しては、我が社が2棟目に受注したマンションの1階の居室がちょうど1つ空きましたので、そこに入る事にしました。
しかし私も所長になったとは言え、杵築だけで毎日フルに仕事がある訳ではないので、1人でずっとそこにこもっている訳にもいきません。そこで電話番としてパートの女性を1名雇いました。そして私は大分市内で営業を続けながら、数日おきに杵築へ足を運び、パートさんから業務報告を受けるというやり方を暫く続けました。
しかしその頃からAさんが賃貸マンションを継続的に建て始めている事を他の建築会社が知る事となり、Aさんに積極的にアプローチを掛けてくるようになりました。そしてその結果、我が社以外の複数の建築会社もAさんから賃貸マンションの建設を受注する事になり、その結果、何棟か立て続けに建物を建てていく運びとなりました。但し我が社以外の建築会社は全て施工のみで、入居者の募集は一切行わない為、それらの業務は全て我が社が担う事となりました。
私もライバル業者に建築の仕事をいくつか奪われた悔しさは有ったものの、入居者募集をする不動産会社の社員という立場で、他社施工の現場に自由に立ち入る事が出来たのは大いなる収穫でした。他社の図面や現場施工を見て、その後の自社施工のヒントにしたり、改善ポイントを見つけたりする事も出来ました。また建築業者としての知識もありましたので、他社の施工内容に疑問を覚える箇所を見つけた場合は、すぐさまAさんへ進言して是正してもらう事もありました。Aさんにとっては、自社物件を専属的に紹介する不動産会社を手に入れただけはでなく、「オーナーよりの管理をする現場監督」までも無料特典サービスとして付いてきた訳ですから、大変ご満悦でした。
しかしそうなりますと入居者の募集活動も結構忙しくなってきまして、マンションの1室では営業所としての格好が付かなくなり始めていました。そんな折に我が社が最初に受注したマンションの1階店舗がちょうど空きましたので、すぐさまそちらへ移転する事を決めました。きちんとした店舗の構えをして、道路沿いに看板も掲げましたので、これでようやく一般のお客様も呼び込める「普通の不動産会社」へとランクアップする事が出来たのです。
また以前Aさんが約束して下さっていた通り、Aさんが以前から所有していた戸建貸家や鉄骨アパートも全て我が社で管理をさせて頂く事になりましたので、数年後にはAさんの戸建貸家だけで60数戸、鉄骨アパートで8棟、鉄筋コンクリート造の賃貸マンションは我が社が施工した5棟を含め、全部で12棟ほど管理する様になっていました。南こうせつさんの物件を加えましたら、管理総世帯数は500戸を超えていたと記憶しています。
なお我が社の杵築営業所で必要となる主な経費は、家賃とパート社員1名の人件費くらいでした。私の給料は本社から出ていましたので杵築の経費には算入されておらず、結果として杵築営業所は賃貸の仲介手数料と月々の管理料収入でかなりの黒字となっていました。本社は建設業でしたので、まとまった工事代金が入る時は大きいものの、それが無い時は収入が途絶える為、従業員の給与や下請け業者への支払いに窮する事も何度かありました。しかし杵築営業所が開設されてからは、毎月まとまった額の管理料が入る為、経理部長からも重宝され「今月も本社口座へ○○万円動かしといて。」と定期的に頼まれる様になっていました。杵築営業所が本社の資金繰りにかなり貢献していた事は間違いありませんでした。
そしてそこからまた数年が経ち、私は杵築で賃貸物件の募集と管理をしながらも、建築工事の営業も継続していましたので、Aさんと13棟目の賃貸マンションの建築計画を練っていました。そしてプランも確定して、我が社がその工事を受注する為に設計士へ本設計図面の作成を依頼していた、まさにその時でした。
事件が起きたのです。
私の勤める建設会社が平成12年5月某日、倒産したのです。この頃は建設不況の中、なんとか持ち堪えていた建設会社が次々と倒産していく時代でもありました。我が社も杵築営業所の恩恵により、多少の延命は図られたものの、それまでに抱え込んでいた不良債権がボディーブローの様に足腰を弱らせ、最終的には金融機関からも見切りを付けられ、力尽きた様な感じでした。
当然ながら本社が倒産すれば、杵築営業所も同時に消滅してしまいます。これが私にとって、最も衝撃的で大きなターニングポイントとなりました。追い風を受けてぐんぐんと高く舞い上がっていた杵築の大凧が、突然根元から糸を切られてしまったような感覚でした。制御不能となってしまった大凧が一体どこへ墜落して行くのか、それさえも分からずに、ただ茫然とその姿を見つめているだけの自分でした。
さて青天の霹靂のごとく会社が消滅し、職を失ってしまった私は、その後どうなっていったのか。その答えにつきましては、また次の機会にお話したいと思います。
