ほっとハウスが生まれるまで⑨
2026年09月07日
平成12年5月某日の朝、いつものように本社へ出社すると、その日は会社の空気がいつもと少し違っていました。
出社している社員の様子に変わりはありませんでしたが、朝礼前、いつもなら開けっ放しにされているはずの社長室のドアが、その日に限って閉ざされていました。中から数名の話し声が聞こえ、社長がそこに居る事は分かりましたが、朝礼の開始時間よりも早く現れるはずの社長が、ギリギリになっても部屋から出て来ませんでした。
定刻を少し過ぎ、皆がざわつき始めたその時、突然社長室のドアが開き、社長と数名の重役が出てきました。そしていつもの朝礼が始まるのかと思いきや、社長は思い詰めた表情で口を開きました。
「今日は我が社の手形決済日だが、八方手は尽くしたものの、本日約束手形を落とすだけの資金を準備する事が出来なかった。しかもこれが2度目の不渡りとなる為、本日をもって我が社は倒産する。これから部署ごとに通達はするが、まずは混乱を避ける為、事務所の入口にこの貼紙を貼って施錠し、カーテンもすぐに閉めてくれ。」との事。
確かに経営状況が良くない事は営業会議でも分かっていましたが、社長の憔悴しきった顔を見て「あぁ、ついにその日が訪れてしまったのか!」と失望せざるを得ませんでした。
社長から受け取った貼紙には本日付けの倒産告知と、許可なき立ち入りは禁ずるといった旨の文書、そして債権者が問い合わせるべき弁護士事務所の連絡先等が記されていました。おそらく弁護士と事前に相談の上、貼紙を準備をしていたのでしょう。
戸締りを終えると、社長は再び静かに話し始めました。
「こんな事になって、皆には本当に申し訳ないと思っている。今後給料は1円も払えない訳だから、このまま退社したい者は帰っても構わないが、営業部においては契約中のお客様のフォローに努めて欲しい。工務部は現在工事中の現場の下請け業者の対応に努めて欲しい。総務部は問い合わせの電話が殺到すると思うので、その時は弁護士の連絡先を伝えて欲しい。経理部は社員の退職金共済の手続きに協力をして欲しい。給料も払えない状況でこんなお願いをするのは、本当におこがましい事だと分かっているが、なんとか協力してもらえると有難い。」との事でした。
社員たちは社長や重役へ具体的に何をどうすれば良いのか、細かな質問を投げ掛けていましたが、私は本能的に杵築へと車を走らせていました。道中考えていたのは「おいおい、勘弁してくれよな。ゴタゴタで誰も気付いてないけど、杵築営業所もあるんだぞ。管理物件の預かり家賃はどうしてくれるんだよ。」といった思いでした。
さらに「今日は息子が4才になった誕生日だから、いつもは残業で遅いけど、今日だけは早めに帰って家族でお祝いをしようと話していたのに…。あーなんて日だ!」と心の中で叫んでいました。おそらく他の社員は会社が倒産した期日など、すぐに忘れてしまうでしょう。しかし私はこの日の事を息子の誕生日を迎えるたびに思い出すのです。きっと一生涯忘れる事は無いでしょう。
杵築営業所へ到着するとパートの女性に「とにかく後から説明するから、すぐに通帳と銀行印を貸して。」と伝え、それを奪うように受け取って銀行へ走りました。しかし、時すでに遅しでした。窓口の女性が困惑した様に「誠に申し訳ございませんが、現在こちらの御口座はお取引きが出来なくなっております。」と言うのを聞いて、恥ずかしいやら情けないやらで胸が一杯となり、トボトボと事務所へ引き返したのでした。
パートの女性には、ここでようやくこれまでの経緯を説明して、今後の家賃の入金処理について打ち合わせをしました。家賃を直接事務所へ持参する入居者も結構いたので、その分は従来通り受け取り、振込みや口座振替をしている入居者に関しては、事前に連絡して振込先をAさんの口座へ変更してもらう様に連絡して欲しいと伝えました。
彼女へ端的に要件を伝えると、すぐさま私はAさんの元へ向かいました。そして我が社の現状報告をして、既に自社口座へ入金済みの家賃については、当分出金出来なくなっている事をお詫びしました。するとAさんは「分かった。それは大変な事になったな。しかし心配はするな。少し落ち着くまで苦労はするだろうが、君とパートの社員だけは、杵築で飯が食える様に私が何とかするから、踏ん張りなさい。」と言って下さったのです。御自身の家賃の事よりも、我々の身の振り方を先に考えてくれていたのです。胸が熱くなる思いでした。
そしてAさんはしばらく腕組みをしながら「うーん、じゃあ、どうするかな。」と思いを巡らせている様子でしたが、その後口を開くと次のような提案をされました。
既に我が社の杵築営業所も消滅していましたので、Aさんがその事務所をそっくりそのまま、新会社にしてしまうと言うのです。これからAさんの息子さんを代表とする不動産会社の設立登記をするから、その会社にこれまでの業務を全て引き継がせるとの事でした。そして私をそこの店長にするから、これからはそこで頑張って働いてくれとの事でした。
本当に有難い話でした。殆どの社員が職を失って、行くあてもない中、私だけが早々に内定をもらったようなものです。その年の4月に入社したばかりの新卒の女性社員の事を思うと、本当に胸が痛みました。彼女もまさか入社して2ヶ月足らずのうちに失職してしまうとは、夢にも思わなかった事でしょう。他の社員もため息交じりに「落ち着いたらハローワークへ行くしかないな。」とつぶやいており、私は皆に申し訳なく、杵築の件は誰にも話せませんでした。
Aさんとは次の建築計画の頓挫がありましたので、その工事の引継ぎの件や管理業務の清算と称して私は足繁く杵築へ通い、次の不動産会社の登記の手伝いや宅建協会への登録手続きに協力をしていました。新会社の登記が完了するまで、少し時間は掛かりましたが、その間もパートの女性へAさんが賃金を払ってくれていたおかげで、なんとか管理業務も継続する事が出来ました。
一方、本社では過酷な状況が続いていました。後から聞いた話ですが、倒産を聞きつけた何者かが会社の資材置き場に侵入し、かなりの数の資材をトラックで運び去ったそうです。近所の方からの連絡を受け、工務部が入口を閉鎖し警告文を貼るなど、通常では考えられないような物々しい騒動が現実に起こっていました。
長年の付き合いのあった大工さんらが心配して事務所を訪れ、社長を慰めていたかと思えば、下請け業者の中には「差し入れを持って来ました。」と言って中に入る許可を得ると、入った途端、態度を豹変させ「社長、あんたも結構な額の隠し金をもってるんやろうが。わしらの手形が落ちんかった分、今すぐここで払わんかい!」とすごむ輩まで現れました。
順調な取引をしている時は、いつもペコペコとへりくだっていた業者の豹変ぶりに、我々はただただ唖然とするばかりでした。この様な修羅場を目の当たりにして、正直人間不信に陥りそうでした。
また情報の早さにも驚かされました。倒産した当日の大分合同新聞の夕刊を見ると、第一面のトップ記事として、我が社倒産の見出しがデカデカと掲載されているではないですか。「えー、おおごとになってる!こんなに晒されたら、友人・知人、親類一同、ご近所さんにまでバレてしまうやん。恥ずかしいなー。」と思いました。破産申し立てをした弁護士から情報は流れていたのでしょう。負債総額や帝国データバンクによる破産に至るまでの考察など、我々が知らない情報までかなり詳しく記事として掲載されていました。
倒産して数週間位は本当に慌ただしい日々を送っていましたが、その後しばらくすると破産管財人が選定され、債権者集会も開催される運びとなりました。杵築の口座で凍結されていた家賃も、裁判所の許可を経てようやく出金出来る様になりました。細かい話にはなりますが、杵築営業所の備品類も管財人を通じてAさんが僅かな金額で買取る事が出来ました。依然として先行きは不透明でしたが、少しずつ光明が見えてきました。杵築に本社を構える新たな不動産会社が誕生するまで、あともう少しです。
