ほっとハウスが生まれるまで⑩
2026年09月14日
平成12年5月某日、私の勤める大分市内の建設会社が倒産してしまいました。
社員の数が15~16名くらいの中小企業だったのですが、負債総額は16億円くらいだったと記憶しています。金融機関もよく、この位の規模の会社にそこまで貸し付けしたものだなぁと思いますが、建築業での失敗と言うよりは不動産業でのやらかしの方が大きかった様な気がします。私も宅建の資格を持っていましたので、大分市内での宅地開発等に何度か関わった事がありましたが、ひとつのプロジェクトだけでも数億円のお金が動いていましたので、失敗した時のダメージは相当なものだったと思います。
ところで倒産後も営業と工務はしばらくの間、残務処理に追われていました。建築途中の現場はきちんと完成させて引渡しまで終えなければ、お金をもらえない訳ですから、破産管財人は資金回収の目的で、営業と工務にアルバイトをさせて、住宅の引渡しと併せて代金回収までを遂行していました。お客様も途中で投げ出されるよりは、その方が良かったのではないかと思います。「飛ぶ鳥、跡を濁さず。」ではないですが、倒産したからと言って途中で放り出してしまうのではなく、最後まできちんと仕上げて引渡せたので、管財人の動機こそ別の所にありましたが、結果的には会社の名を汚す事なく最後の幕を閉じられたので良かったと思います。
私の方は大分での残務が一区切り付いた段階で、ほぼ毎日杵築へ足を運ぶようになりました。そしてしばらくすると杵築を本社とする不動産会社の登記が完了しましたので、ついに私はその新会社へと就職する事になりました。
私の自宅は大分市内にありましたが、毎日通うのも大変だと言う事で、Aさんがすぐに社宅扱いで一戸建ての貸家を提供してくれました。家賃を訪ねると暫くはまだ大変だろうから、無料で構わないと言って下さいました。取り敢えず家内と子供たちは、保育園や幼稚園の関係があるのでしばらく大分に残す事にして、私ひとりが身の回りの物だけを持って杵築へ引っ越して来ました。
転職後の新しい職場は快適そのものでした。これまでは大分市内で毎朝通勤ラッシュに巻き込まれていた為、自宅から会社へ到着するまで40~50分は掛かっていたのですが、杵築の職場では通勤時間がわずか3分に短縮されました。これまで10数年間味わっていた通勤ストレスから解放されたのは、まさに感動的でした。また仕事で大分と杵築を往復する必要も無くなり、1日中ずっと杵築にいて、仕事に集中出来たのも感謝でした。
さらには会社の看板こそ新しいものに変わりましたが、事務所の中身は全て今まで通りでしたので、新入社員ではあるものの、ロッカーのどこに何の書類が入っているかまでも全て把握済みでしたし、業務内容も当然のごとく熟知していました。一般的に転職者と言うものは、新しい仕事を覚え環境に慣れるまで相応の時間を要するもので、それが結構なストレスとなるのですが、私の場合はそれが皆無でしたので本当に有難かったです。
またこれまでは建設業の営業を主体に活動していましたので、純然たる不動産業界に身を置く事になって、色々とその違いに気付かされる事がありました。建設と不動産は似たようなもので、傍から見たらあまり違いは無いように感じるかもしれませんが、私にとりましてはその決定的な違いに感動すら覚えたのです。
その違いとは顧客の動きにあります。建築営業の場合は、まず受注前のお客様が自ら会社へ来てくれる事など絶対にありえませんでした。しかし不動産営業の場合は、必ずお客様の方から店へ来て下さり、そこからすぐに商談が始まります。確かに建築業でも住宅展示場にはお客様から足を運んで下さりますが、その後は数社にも及ぶ競合の中、いかに早くアポ取りをしてお客様の家へ伺うかが勝負で、待っていても何も始まりません。
しかし不動産業は「待っていたらお客様の方から必ず来てくれる」のです。杵築のように不動産会社の数が少ないエリアでは、なおのことです。賃貸物件を探しに来る方、不動産の売却や購入を希望する方、いずれも初見の方がわざわざ店まで足を運んで下さるのです。
そして契約が成立したら、わざわざお金を持ってきて下さるのです。何を当たり前のことを大げさに言っているのかと呆れる方が多いと思いますが、建設業界に長くいた者にとっては「集金こそ最後の難関である」という思いが非常に強いのです。仮に建物の引渡しを先に終えても、その後に手直しを要求されるケースは多分にあり、それが終わらない限り、残代金は支払わないと言われる事もよくありました。時には正当なクレームではなく、難くせに近い事もあったりして、代金回収を巡るトラブルにより、我々営業社員が会社とお客の板挟みになる事など珍しくありませんでした。「請負業とは、請け負け業である。」という迷言にさえ誰もが納得してしまう、そんな業界でした。
それだけ代金の回収に対して神経をすり減らし、苦労を積み重ねてきた者としましては「お客様の方から、わざわざお店にお金を持ってきて下さるなんて!」と普通に考えれば当たり前の事なんですが、その事に思わず感動してしまったのです。
もちろん建築と不動産で業態や扱う金額に大きな違いがありますので、私の感覚の方が大いにズレていた事は認めますが、これらの経験を経て、私は建築営業よりも不動産営業の方が大好きになりました。不動産業こそ自分にとっての天職だと思うまでに至りました。大学で法学部を選択したのも、初めて就職して1年後に宅建の資格を取ったのも、全てはこの日を迎える為に必要なお膳立てだったのだと運命の神様に感謝したものです。
かくして私は杵築の地で不動産会社に勤務する身となり、毎日充実した日々を送る事になりました。
これまではAさんの物件と南こうせつさんの物件のみを扱っている不動産会社でしたが、入居率が良くなると実際にお客様へ紹介出来る物件の数は逆に少なくなって来ます。そこで杵築市内で入居率の芳しくないアパートをお持ちの大家様を訪ね、当社で入居のお世話をさせて欲しいと伝えました。Aさんの元へ近づく際にも使った「ゴマ擦り作戦」です。当然入居者を入れてあげれば、大家さんも喜んで下さりますので、そのタイミングで管理の御提案もさせて頂きました。そして大家さんも丸投げの方が楽だと分かり、当社の管理戸数も徐々に増えて行きました。最終的には管理戸数も500戸から600戸を超える位にまで増えていたと思います。
そして杵築に新しい不動産屋が出来た事は、少しずつ地元の方々へ知れ渡る事となり、不動産の売却依頼や購入依頼も徐々に増えてきました。その際も実に有難かったのは、杵築周辺にその当時は不動産屋の数が少なかった事が幸いし、売主様から直接預かった物件を、直接買主様へ売り渡すケースが多かった事です。
不動産の仲介には「片手」と「両手」があり、売主と買主にそれぞれ別の不動産屋が付くと「片手」になるので、それぞれ片方からしか手数料はもらえません。しかし両方の仲介をすると「両手」になり、双方から手数料をもらえるので、その額は倍になるのです。「片手」の場合に50万円だった手数料が「両手」になると100万円になる訳ですから、この差は非常に大きいです。
大分市や別府市では不動産業者の数もかなり沢山ありますので「両手」になるケースは比較的少ないと言われています。不動産屋の数が極端に少ない杵築だからこそ、「両手」取り引きが増え、収益率倍増につながった事も想定外のメリットでした。私の給料も大分時代と同様に基本給+歩合給でしたので、手数料を稼ぐ事で身も心も豊かになって行く事が本当に楽しい日々でした。
そしてしばらくして、私の家内と幼い二人の子供も杵築へ引っ越して来ました。住民票も杵築へ移動して正真正銘の杵築市民となり、子供たちは杵築の幼稚園と小学校に通う事になりました。子供たちはその後もずっと、中学校を卒業する頃までは杵築の街で暮らしていましたので、おそらく大分よりは杵築の方が生まれ故郷に近い感覚だったと思います。
こうして私はAさんの作った会社に12年間務めさせて頂く事になりました。Aさんの計らいで私の家内も同様に同じ会社で働かせてもらっていました。その期間は本当に充実した日々でしたので、このままずっと続ける事も選択肢のひとつではありました。しかしその後、私は独立を決意し、実行に移す事になりました。その時の事に関しましては、また次の機会にお話したいと思います。
