ほっとハウスが生まれるまで⑫
2026年09月28日
私が杵築の不動産会社に勤めていた12年間は、本当に充実した日々でした。毎日忙しく業務をこなしながら、地元の不動産業者として果たすべき役割を全う出来ていたのではないかと自負しています。
あくまで一社員の立場ではありましたが、宅建業における専任の取引士でもあった為、業務に関する責任は全て自分が負う覚悟で臨んでいました。本業が別にある社長のDさんにトラブル解決をお願いする訳にはいかないと思い、ずっと責任者の立場で踏ん張ってきたのです。
当時、杵築青年会議所で仲良くなったメンバーとは、卒業後も地元の居酒屋でよく呑んでいました。そんなある日、ひとりの仲間から「こんだけ地元に根付いて仕事も頑張っているなら、いっそ独立したら?あんたならやれると思うよ。」と言われた事があります。「うーん、そうやなぁ。それもそうかもしれんな。」とその場は生返事をしましたが、頭の片隅には「やろうと思えばやれるかもしれない」という思いが少しずつ芽生え始めていました。
しかし一方で「いやー、この不景気な時代に独立するのはリスクが高過ぎるんじゃない?実力がないとは思わんけど、やっぱ安定が一番やろ?独立しても暫くはメシが食えないって聞くし、ましてや独立をすればAさんやDさんを敵に回してしまう事にもならんか?」と心配をする仲間もいました。確かに狭い杵築の街で、仲違いの様な形で独立をしてしまえば風当たりが強くなり、商売を続けていくのは容易ではありません。
仕事自体は充実していたものの、何かにつけて「継続か独立か?」と思い悩む日々が増えてきました。
そんな折、お店を訪ねてきたお客様より「ちょっと資金が必要となって急いでいるので、お宅の会社でこの土地を買い取ってもらえないだろうか?金額は○○○万円でいいから。」と言われた事があります。
その土地は300坪くらいの畑でした。埋土の必要がなく、道路にも接していた為、道路を1本引き込めばちょうど4区画の宅地分譲地が出来る地形の良い土地でした。しかも土地の売却希望価格が非常に安かった為、事業化すればかなりの利益が出ると長年の勘では確信していました。
しかし私はあくまで一社員でしたので、不動産売買の仲介は出来ても買取りをするまでの権限はありません。しかも親会社であるAさんの会社からは、まだ相当数の分譲地売却を託されている立場でした。ここで子会社が独自に土地を仕入れて販売すれば、Aさんの分譲地と競合してしまいます。そんな計画を社長のDさんが了承するはずもない事は、火を見るよりも明らかでした。
後日、Dさんに業務報告を行なった際にはその件も伝えました。すると「ふーん、うちでは買い取れんわな。」との返答。「そりゃあ、そうですよね。」と私も答えつつ、至極当然の成り行きとして納得はしていました。しかし同時に「これが一社員としての限界点なんだなぁ。」という事も痛感せずにはいられませんでした。
その時のお客様には残念ながら買取りは出来ないと伝えました所、その後、他の不動産会社を訪ねたのでしょう。しばらくするとその土地は他社の立派な分譲地に変わっていました。
もし独立して自分の会社を持っていれば、千載一遇のチャンスを逃すことなく、自分自身の判断で事業を進められます。収益性で言えば、賃貸仲介よりも売買仲介、そして売買仲介よりも宅地分譲の方が大きいのが現実です。自分の経験を活かして、杵築市内のインフラ整備や人口増加に貢献しながら事業収益も上げられるなら、これ程素晴らしい事はありません。
私は自らの意志で杵築を開拓エリアに選び、そこでいくつかの足跡を残し、ここに骨を埋める覚悟で業務に邁進してきました。ならば最後くらいは自分の会社を持ち、悔いなく自分のやりたい仕事をこの地でやり遂げたい――そう思うのは決して間違っていないはずだ、と決意が固まってきました。
ちょうどその頃、Dさんの息子さんが大学を卒業して、宅建の資格も取ったという話を聞きました。Dさんからは「いずれはこの会社を継がせたい」という思いも伺いました。息子さんが資格を持って戻ってくるのであれば、専任取引士の不在問題も解決します。「ついに機は熟したのだ」と私は確信しました。
そしていよいよ正式に独立の話をする決意をした私ですが、本来であればこの話をする相手は社長のDさんになります。しかし私はあえてその話をDさんではなく、Aさんに持ち掛ける事にしました。身勝手な判断ではありましたが、杵築での最初の出会いはAさんでしたし、この熱意を理解をしてくれるとしたら、Aさんしかいないと思ったからです。無謀を承知の上での選択でした。
そうしてAさんと後日お会いし、独立したいという想いを単刀直入にお伝えしました。その時のやり取りについては、また次回にお話ししたいと思います。
