ほっとハウスが生まれるまで①
2026年07月13日
ほっとハウスが誕生してからの話は過去に何度かブログで報告をさせて頂きましたが、その前の経緯についてはこの場であまり掘り下げてお話した事はございませんでした。
話のネタも尽きましたので、ここで「エピソードゼロ」を僭越ながら御紹介させて頂く事に致します。本当は誰も興味ないのに自分語りする気持ちの悪い人間だと思われたくなかったので、あまり話さない様に努めていたのですが、現在杵築市で仕事をさせて頂いている事への感謝を込めて、現在に至るまでの変遷を少しだけ語らせて頂きたいと存じます。興味の無い方はどうぞスルーして下さい。
実を申しますと今でこそ杵築市内で不動産の仕事をしていますが、私自身にとって杵築市は全く縁もゆかりも無い土地でした。生まれは竹田市で、最初に就職した会社も大分市内にある建設会社でした。親戚も友人・知人も全く居ない杵築の地で、なぜ今不動産業を営んでいるのか。そこには自分でも想定していなかった様々な出来事があり、それらに導かれるままに最後にたどり着いた土地が杵築市だったとしか言いようがありません。
先にもお伝え致しましたが、私は最初大分市内の建設会社に就職致しまして、最初は建築現場の管理をさせてもらっていました。その時の先輩からの助言も有り、入社の1年後に宅建の資格を取りました。私が大学で法学部に在籍していた事も有り、若いうちに取れる資格は取っておいた方が良いとの事でしたので、チャレンジして運良く資格を取る事が出来ました。入社当時は非常に給料も安かったので、資格を取るだけで会社から資格手当をもらえる様になる事も大きなモチベーションの一つではありました。
そしてそこから何年か経過致しましたが、現場管理から営業部へと配置転換になりまして、最初は個人住宅の営業を主に行っていました。その会社は注文住宅をメインに受注している会社でしたので、お客様の御要望を建設地に落とし込むプランニングが肝でもありまして、特に2階建ての場合は1階との収まりや、立体的なフォルムまで考慮して提案する必要もありましたので、その点では最初に現場を経験していた事が大いに役立ったと言えます。
そして営業職に移ってからまた更に数年後の話にはなりますが、今度はいわゆる箱物と言われるアパートやマンションなどの規模の大きい建物の建築工事を受注をする様にと上から突然のお達しがありました。おそらく規模が大きくなる分、工事利益も多くなるので積極的に受注する様にとのトップの考えだったのだと思います。
しかし私はそう言った物件の受注経験はこれまでに全く無く、個人住宅専門で動いていましたので、社内にいる箱物受注の経験がある先輩社員より色々と教えてもらってはいましたが、百戦錬磨の営業マンがひしめく大分市内で、大手ハウスメーカーでもない地元企業の建設会社社員が、並居る競合他社の中から受注を勝ち取るなんて事はどう考えても無理な事だと自分では最初から分かっていました。
ではどうするかと考えていた時にふと姑息な考えが浮かびまして、どこか競争の厳しくないエリアで、しかもこれから発展していく可能性のある地域があれば、もしかしたら自分でも工事の受注が取れるのではないかと考えたのです。そしてその構想の下、大分県内の地図を広げて候補地を探していた時に、最初に目に止まったのが杵築市でした。その頃は市町村の合併前でしたので、大分空港から一番近い市でもありましたし、当時の平松知事が掲げた「テクノポリス構想」によって杵築市周辺にはキャノン、ソニー、東芝と言った大手企業が進出して来ているではないですか。
しかもゼンリンの地図を見ても杵築市にはその当時2階建てのアパート位しかなく、未開発ではあるものの、これから必ず発展するエリアだと確信致しましたので、すぐに社用車を走らせ杵築市へ向かい、市内をじっくりと時間を掛けて巡回致しました。すると主要道路沿いでもまだ田畑が残っている所があちこちに有り、農地転用をすればすぐにアパートやマンションを建てられそうな雰囲気でしたので、やはり思っていた通りの街並みだと確信し「よし!俺はこの地で箱物を受注するぞ!」と大きな野望を抱きながら会社へ戻ったのでした。
時代は確か平成3年の頃、昭和の時代を終え、新しい時代の訪れに誰もが期待を抱く、そんな希望に満ちた時代でした。今思えば、ここが自分と杵築市を繋げる最初のスタートラインだった訳ですが、ここからも色んな事が起こりました。これが七転び八起きする私の人生の幕開けでもありましたが、ここから先の話はまた次の機会にお話したいと思います。
